おきてからねるまで日記

起きて寝るまで思ったこととか感じたこととか

おもい

今日、お出かけをして、帰り道。
「世界で起こっている事件や災害などの責任を自分に感じないのはなんでなんだろう」
と、ふと思った。
そして、
「自分は自分、他人は他人、と、しっかりとした、冷めた境界線を引いたのは、いつなんだろう」
とも思った。

私は自分のことを何も知らない

マンションの階段をのぼりながら、
「この高さの目線で階段をのぼって、どれくらい経つんだろう。」
「私が小学生の時になくした家のカギはどこにあるんだろう。」
「今うちで飼っている犬はいつからいる?」
と、たくさんたくさん疑問が出てきて、
その答えはどれだけ考えても出てこなくって、
どうしようもない

チーズケーキが食べられるようになったのはいつ?
唇に色をつけることを知ったのはいつ?
体裁を気にするようになったのはいつ?
テレビを消しても止まっててくれないと知ったのはいつ?
映画を最後まで見れるようになったのはいつ?
他の人の話を面白いと思って聞けるようになったのはいつ?
石焼き芋屋さんの芋を最後に食べたのはいつ?
スパゲティって言えるようになったのはいつ?
「いつかね」とか「今度ね」とかって言葉を信じなくなったのはいつ?
本音と建前を知って、使うようになったのはいつ?
男と女の違いを知ったのはいつ?
悪口を言うことを覚えたのはいつ?
初めて誰かを好きになったのはいつ?
バスの乗り方を知ったのはいつ?
歩けるようになったのはいつ?
喋れるようになったのはいつ?
私が大人になれるのはいつ?
私は、なに?

来月で18歳
18歳はおとな?こども?
いくつになったらおとな?
いくつまでがこども?

全くわからん。
自分の事さえもこんなにわからないのに、
よくある、好きな人や大切な人のすべてを知りたい、なんて無理な話だ

これらのわからないことすべてに対して、
スケジュール帳あるいは日記を開いて、
「スパゲティって言えるようになったのは〇年〇月〇日の○○時○○分ですね」
とかって言えちゃうのは、それはそれでナンセンスだけど
っていうか、こんな疑問を持つこと自体がナンセンスなのかもしれない

なにもかもわからないけど、
思い出はある。

さっきあげた例、全部に思い出はある。
いつなんて、なんでなんてわかんないけど。

もしかしたら、生きてるのって、
何かを達成する、とか、誰かの役に立つ、とかってことじゃなくて、
思い出をできるだけたくさん作るために、そうして、生きたりしてみてるのかも

だって、そうだもんね
やりたいこととか、成功させたいこととか、携わりたいことって、結局は、思い出だもんね

問題は、
いかに、いつまでも新鮮に、鮮やかなままで、思い出したい時に簡単に鮮明に思い出せて、って、どうしたら永遠に心の中にとどめておく事ができるか、ってことだね

だから、
ハイテクノロジーだとか、いわゆる、科学の進歩なんかじゃないんだよなあ